自己満追求ブログ

「私にとって本当にやりたいこととは何か」というのを追求したくて、23年間の看護一筋の私が、ビジネスの世界で感じたあれこれ。

人を「人」として見れない人にだけは、死んでもなりたくないです。

こんにちは!

まいです!

 

 

 

ちょっと強めのタイトル

失礼します。

 

 

 

いきなりですが

質問します。

 

 

 

友達や他人のことを

 

「人」として見れなくなった時

「人」として関われなくなった時

 

はありますか?

 

 

 

私は、

恥ずかしいことにあります。

 

 

 

私は営業職を経験した時に

「ノルマのために何がなんでも売らなきゃ」

そんな思いになり、

 

 

目の前にいた人に対して、

相手の気持ちを一切考えずに

押し売りしてしまったことがあります。

 

 

 

周りの人に言われて

私自身、気づくことができました。

 

 

 

そうなんです。

 

 

 

恐ろしいことに

「人」として見れなくなった時、

自分は気づかないのです。

 

 

 

ただし、

された側の人は

気づくのではないでしょうか?

 

 

 

今、私のことを

「私」として見れくれていない

 

 

って。

 

 

 

私のこと

「金」として見ている

 

 

って。

 

 

 

私のこと

「物」として見ている

 

 

って。

 

 

 

私は、すごく感じてしまいます。

 

 

 

「看護師だから、ビッチだろう」とか

 

「看護師だから、優しいだろう」とか

 

「俺の彼女だから、なんでも許されるだろう」とか

 

「成績がいいから、なんでもできるだろう」とか

 

「発言力がないから、こいつには喋らせない」とか

 

 

 

誰がそのイメージを決めたんだって。

非常に悲しくなりますね。

 

 

 

 

看護師だから?

優しいから?

 

そんなの関係ない。

 

 

 

頭が悪いから?

人見知りだから?

取り柄がないから?

 

 

そんなの関係ない。

 

 

 

社長だから?

頭がいいから?

お金持ちだから?

 

 

そんなのも関係ない。

 

 

 

 

 

「人」は

「誰でもないたった1人の個人」

変な固定概念は取り払え。

 

 

 

どんな人でも

夢を持っていいし

語っていい。

 

 

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私は

「人がいないと生きれない自分」

であることを知っています。

 

 

 

「人」がいないと

やりがいも

生きがいも

楽しさも感じられないことを知っています。

 

 

 

だから

誰もがハマってしまう

「自分のことに精一杯になる」という穴に

ハマらないように

 

 

自分に余裕をもつことにしたんです。

他人を思える余裕。

 

 

そうでもしなきゃ

余裕のもてない

ちっぽけな自分だから。

 

 

 

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親はいつでも

「私だから」と言って

いつも大切にしてくれました。

 

誰にも変えられない

「たった1人の娘だから」って。

 

 

やはり親には叶いません。

 

 

よし。

今日は親孝行だ。

 ビールをプレゼントするぞ。